範となる環境に身を置く                    ~『正法眼蔵随聞記』から学ぶ~

コロナ禍にあって、範を示すべき立場の人達の振舞いが善くも悪くも注目されています。今号は道元禅師のお示しからお話しを展開していこうと思います。
『正法眼蔵随聞記』(しょうぼうげんぞうずいもんき)という書物があります。これは道元禅師のお側に仕えた懐奘(えじょう)禅師が道元さまの日常生活のお言葉や行動を覚書つまりメモとして残されたものです。日常生活の質疑応答集とも言われています。その中に次のような一節があります。
「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる。よき人に近づけば覚えざるによき人となるなり」。これは中国唐代の金華倶胝禅師(きんかぐてぜんじ)の下に童子がいて、いつ学び、修行したか分からないけど禅師の側に仕えていたので、自然と道を悟ったという故事から引用しています。そして坐禅も永い間続けていると自然と道を悟る旨を道元さまが懐奘さまに示されたものです。
これは坐禅の大切さを伝えているのはもちろんですが、私はさらにもう一つ大切なことを感じています。つまり【人は環境によって如何様にもなる】ということです。例えば子どもの躾について「大人の言う通りにはならないが、するようになる」と言われます。「子は大人の背中を見て育つ」とよく言われますよね。
子どもは大人の日常の行いをしっかりと見ています。大人が範となる生き方をしていれば道元さまのお示しのように子も自然と大人のような行いが身についているでしょう。できていなければ、悪い見本として大人がしているようになるでしょう。まさに範を示す大人の行動次第です。
「子どもが言うことを聞かない」と思う場面があるかもしれません。その時には一度しっかりと自分自身を見つめることが大切だと感じています。自分自身が同じことをしていないかを今一度、見直すことが大切です。一方で受け手側の態度も大切です。しっかりと謙虚な素直な心をもち、アンテナを張ってておかないと「よき人となる」にはなかなか到達できません。大人と子の場合、受けて側のその状態をつくるのも大人の行動次第ですね。
例えば学校でのいじめの問題。学校の先生は子ども達に「いじめはいけないこと」「人のいのちの尊さ」などを子ども達に教えてくれます。その学校での学びを家庭でもしっかりと伝えていくことで、先生が教えてくれたことを真に分かるようになるはずです。家庭で大人がいじめやいのちの尊さに向き合う生き方を実践していれば、自ずと子ども達もわかってくるのではないでしょうか。