生を明らめ死を明らむる

令和二年も残りわずかとなってきました。年頭にはまさかこのような世の中になるとは想像していませんでした。大変な一年となりました。

今号ではこのような状況の中で改めて仏教が大切にしていることを記していきたいと思います。

曹洞宗のお経に修証義があります。

 修証義の修とは修行のこと。証とは悟りのことです。修と証は一つです。修行したその結果として証つまり悟りがあるのではない。修行しているそのことがすでに悟りであるのです。ここを道元禅師は大切にされています。悟りという結果を得る為の修行ではない。無所得無所悟(むしょとくむしょご)の修行こそが仏の道です。財を得る為、名声を得る為、何かを得る為にする行いは意味がないとの厳しい指摘です。

さて、修証義の全てを述べることはできません。ここでは修証義の冒頭の一文を述べさせていただきます。

「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり…」とあります。生とは何か、死とは何か、私たちは一生をどう生きるべきか、死に対してどう向き合うか等、生死(しょうじ)の問題を明らかにしていくことは真実の道を求める者にとって最重要課題であると示されています。

佛家とは仏教徒であります。つまり仏教徒は真実の道を求める者であります。自分自身の事実をしっかりと見つめることが大切であると示されています。自分自身の事実とは何か?「今日、只今のこと。確かにあるのはいま、ここしかない」ということであります。確かにあるいま、ここを疎かにせず、としっかりと向き合い、精一杯生き切ることです。これが仏教徒として生き方です。この当たり前でわかりきっていることを私たちは本当にわかっているか?明日を迎えて自分のいのちがあることを当然と考えていませんか?明日も生きている、一カ月後も生きている、半年後も、一年後も生きている。そう考えているといまを疎かにしてしまう可能性があります。別に今する必要はないや。また明日でいいやと思ってしまうのです。確かにあるいまを一生懸命全力で生き切るその積み重ねが大切なのです。将来にあまり重きを置かずいま、ここにしっかりと重きを置くことが仏教の教えです。

新型コロナウイルス感染症の流行・拡大が続く中、心が不安で自分もかかったらと心配の方もおられるかもしれません。しかし今ここを生きています。このいまを大切に生きていくことを大切にしていきたいものです。

ご先祖さまから受け継いだ尊いいのちをいまここで精一杯生き切る。その先に未来もやってくるのではないでしょうか。